こんにちはトーマスです。
なんかタイトルがとんでもなく長くなってしまいましたけど、確か中学生くらいの時に思っていた事をふと思い出したので本日のお題にしようかと。
【全ての出来事には意味が無い】
なんかこう書いてしまうと悲観的に見えるんですが、当時のトーマスはこれを悲観的に思っていたわけではなく、
≪全ては見たままなのだから、起きる出来事に感情を振り回される必要はない≫
と考えていたんです。
小学生まではそれなりに悩んだりセミ捕りに夢中になったり、苦しんだりザリガニ釣りにハマったり、泣いたり自転車でウィリー(前輪を上げて運転)に挑戦したりと人間らしく楽しんでいたのですが、中学生になると目の前の景色に現実味が無くなってきましてね。
映画を観てるような、自分が演者になったような感覚で過ごしていました。
友人と笑っている時も、友人と供に泣いている時も、どこか冷めていて(これが青春ってやつだなぁ)なんて思ったりして。
【人生観の変わった言葉】
高校生になると今度は「よし!恋をしよう!」となり、異性とお付き合いするわけです。
それはとても楽しい時間で、そんな楽しみの中でもやはり自分の様子を面白がりながら見てる自分がいて。
ある時、当時お付き合いしてた子と何気ない会話の流れの中でポツリと漏らしてしまったんです。
「自分は特に死に対して恐怖はないかなぁ。自分から死のうとは思わないけど。凄く生きたいっていう気持ちもないかも」と。
確か怪談話かなんかをしてて、相手の子が「死ぬのって想像しただけで怖いよね」みたいな事を言ってた流れだったと思います。
が、トーマスが上記の発言をした途端、普段は怒らない穏やかなその子が激怒しました。
「それはあまりにも思いやりのない考えだよ。もしあなたが死んだら残された人達は悲しむでしょ?その人達の気持ちは考えないの?自分には関係ないで済ます事なの?」
もうね、ハッとなりましたね。
そしてとても自分が恥ずかしくなりました。本当に思いやりのない言葉だったと。
仮にもお付き合いしている子の前でこんな発言をしてしまった自分が酷く小さく未熟な人間に思え、そしてそんな自分を叱ってくれたその子に感謝しました。
その子の言う「死ぬのが怖い」の意味は、自分が痛いとか苦しい思いをする恐怖ではなく、自分を大切に想ってくれる人達を悲しませてしまう事への恐怖を表した言葉だったのです。
【意味の無い中に意味をつくる】
それから先はガムシャラに生きるようになりました。
とりあえずでも≪トーマスの死を悲しむ人がいる限りは生きなければいけない≫という意味ができましたから。なにがなんでも≪生きる≫という気持ちだけは意識するようになりました。
常に意識してないとうっかり一生懸命になることを忘れてしまいそうになるので。
そして徐々に≪楽しむ事≫≪悲しむ事≫≪怒る事≫などの感情をちゃんと知る為に真剣に考えるようになりました。
わからない時は親友とかに聞いたりもしました。
桃益「ねぇねぇ、嫉妬ってどういう感情?」
親友「え・・・う~ん・・・やきもち?」
桃益「うん、やきもちってどんな感情?」
親友「う~ん・・・愛しいハズなのに憎い・・・憎しみの感情に近いかなぁ」
桃益「愛しいのに憎いのかぁ・・・忙しいね」
親友「あぁ、忙しい感情かもしれない」
こんな風に、幼子のように「これ何?」「あれは何?」みたいにどんどん聞いて、聞いた後は色んな本を読んだり映画を観たりして感情の学習をしていました。
【感情の実感をしたのは子供が産まれてから】
それからも沢山の人を見て話を聞いたりして、自分なりに感情というものを理解したつもりになっていました。
が、本当にはわかってはいなかったみたいです。
長女が1才くらいの頃、昼間2人で幼児番組を見てた時にそれは起こりました。
柔らかな陽の射し込む部屋で、TVの中の着ぐるみキャラクターの踊りに合わせて嬉しそうに体を揺らしている長女を見ていたら、突如涙がこぼれました。
なんにも考えてなかったんですよ。
(たのしそうだなぁ)くらいにしか。
なのに涙が止まらない。
胸の奥からあったかいものが湧きあがってきて、それが溢れて涙として流れる。
本当にビックリして(なんだこれ!?)ってなりました。
いつの間にか長女もこちらを向いて泣いてるトーマスを見て半べそになっているのを見て、また更に涙が出て思わず長女を抱き締めました。
大切ってこういう事なんだ。
幸せってこういう気持ちなんだ。
感情って頭で考えるものじゃなくて勝手に湧きあがってくるものなんだ。
そう思いました。
ヘレン・ケラーの「ウォーター!」級の気づきでした。
こうしてトーマスは人間としての一歩を踏み出したのです。
【意味を作って意味が生まれる】
今でも起きている事象に意味は無い、ただ≪在る≫だけ、という考えは変わらないのですが、人生というのは≪在るだけ≫の中に意味を自分でつくっていき、その意味の中で経験をしていく事で新たな意味が生まれていくのではないのでしょうか。
そうならばどんどん意味を作っていって、限られた時間の中で沢山の経験ができたなら、なんだかお得感満載な気がします。
どうせ演じているのなら、地球ドラマの名役者として役に入りきって演じていきたいですね。
いつか向こうに戻って人生フィルムを観た時に、それを観ながら楽しめるように、演じきった自分を誇れるように。
なんだか最近眠くて眠くて仕方がないので本日ここまで!
いつもあなたが笑顔でいられますように。
それではまた!