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いのちって無いよね?【鉄観音シリーズ第4段】

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こんにちはトーマスです。

以前UPした【自殺】の記事に、当ブログお馴染み鉄観様からコメントをいただきました!

その時の記事がこちら↓
www.toumasu.com

いただいたコメントはこちら↓
鉄観音シリーズと銘打っていただき、アザっす!
ʕʘ‿ʘʔ なんか…お題だけ振って、逃亡中で申し訳ないっす!
せんせーっ…にゃ、通じると信じて聞きますよっ 「いのち」って…無いよね?
「いのち」があると勘違いした苦悩者が… 「いのち」を断った…と、思いきや! だと、思うんだよな…結局、苦悩が残っちまうんだよね】

そしてトーマスの答えの前に鉄観音さんがUPした記事を是非ともお読み下さい。

前半の内容はかなり過激な表現になっておりますが、後半にいくにつれてとても大切な事が書かれていますので、必ず最後まで読んで頂く事で鉄観音さんの本当に伝えたい事がわかると思います。

その鉄観音さんの記事はこちら↓
tekkan-non.hateblo.jp


それでは早速【鉄観音】さんのご質問にお答えしていきましょう!

目次

【「いのち」って…無いよね? 「いのち」があると勘違いした苦悩者が… 「いのち」を断った…と、思いきや! だと、思うんだよな…結局】

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これは命というものをどう捉えるかによって解釈は変わってきますね。

いのち=魂とするならば永遠

いのち=肉体とするならば期限付

しかし、肉体=物質の塊であり、肉体が滅びればそれはいずれ粒子に還ります。

そう考えると肉体ですら永遠ということになります。

魂と塊って漢字、似てますもんね。

同じなんですよ結局。形が違うってだけで。

だから鉄観音さんの仰有るとおり

【いのちを絶ったと思いきや・・・】

ってやつです。

絶てないんです。どうやったって。【いのち】なんてものは無いのだから。

それと同時に全てが【いのち】なのだから。

ね?意味わかんないでしょ?

これがいつも説明に苦しむ【矛盾】ってやつです。

【言葉では説明できないもの】

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言葉ってどうしても限界があるんです。

言葉にしてしまうとそこから解釈が始まってしまう。

読む人聞く人のフィルターがかかってしまう。

だからブッダさんもキリストさんも文字で教えを残す事を良しとしませんでした。

鉄観音さんの記事の後半の方で出てくる【般若心経】の最後らへんの

≪ 羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶 (ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか )≫

この部分は三蔵法師が経典を持ち帰った時に敢えて意味を訳さなかったと言われている部分です。

般若心経の中でこの部分だけは【真言(マントラ)】とされていて、言葉そのものに力があるとされているのです。

けれどサンスクリット語を訳すと(鉄観音さんの記事にも書かれていましたが)

「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸にまったく往ける者よ、幸あれ」

という訳になります。

訳してしまうとね、やっぱり意味が固定されてしまうんですよ。

この訳を表面的に見てしまうと単に【死者への贈る言葉】となってしまいます。

もう少し突っ込んで解釈すると、【死んだ後も大丈夫だよ、安心してね】になります。

しかし、更に更に深く解釈していくと、死ぬとか死んだ後とかの意味ではなくなります。

真言の本当の意味】

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上記の真言の本来の意味は

【知れた者は幸せだ】

という意味です。

【彼岸に往ける者】というのは悟りを開いた者が行ける所に行くことが出来る者ということです。

【彼岸】て聞くとどうしてもあの世のイメージがありますよね。

ブッダさんはあの世もこの世も無いって言ってるのですが、やはり言葉にしてしまうことで様々な解釈が生まれてしまうのは仕方の無いことかもしれません。

この真言は般若心経で語っている内容をぎゅっと凝縮した言葉なのです。

ブッダ「まぁ、なんだかんだ言って結局言いたいのは羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶ってことだよ、うん 。それだけわかってくれればいいよほんと」

てな感じ。

だからこの真言は実際にとても強いです。ブッダさんの気持ちや言いたい事が詰まった言葉ですからね。

とね、ここまで書いといて何なんですが、実は般若心経ってブッダさん発ではないんです。

大乗仏教≫っていう宗派がブッダさんの死後500年後くらいにブッダさんの教えを解釈して書き記されたものの1つなんですよ。
だから直接の口伝を記したものではないのです。
インド発のちゃんとした聖典であることは間違いないですけどね。

【死者の魂の行き先】

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【自殺】の記事の中で魂の消滅はあると書きました。

この【消滅】はその個体が持っていたデータを完全消去してしまうので、メインとなっていた意識が再び生まれ変わって、という事は出来なくなります。

全体量が減ってしまうわけですからね。また新たに増やしていかないといけなくなります。途方もない時間をかけて。

魂の消滅する生業の業が深いのはこういった理由からきます。なので陰陽師系や退魔師系は生まれ変わっても壮絶な人生だったり強い霊能力を持つ事が多いです。自らが経験を詰んで消したものの容量を増やしていかなければならないので。

そして自殺者は成仏するのが難しい、地獄行きという事も書きましたが、実はこれには補足があります。

人が死ぬと1つに固まっていた魂が分散してそれぞれの場所に還ります。

しかし思い残しがあったりするとその中の強い想いをインプットした魂が現世に残ります。

これは【残留思念】と呼ばれる場合もあります。

自殺者は思い残しがとりわけ強いので残る魂の比率が多くなり重力の檻から抜けれなくなります。

しかしサブソウル(メイン意識以外の魂)はサッサと還るものもあるので、視る人によっては成仏してると視える場合もあり、成仏していないと視える場合もあります。

なんにせよ、メインは残っちゃってる上に分散されてるから凄く中途半端に弱い状態になるので余計に苦しいんですよね。

【まとま・・・るかなぁ】

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死ぬというのは本来めでたい事なんです。

本当の自分に戻るということだから。

ただ、自ら死を選んでしまうと本当の自分を思い出すのに時間がかかってしまうから、その結果人である苦しみが長引いてしまうんです。

苦しみを最短で終わらすコツはね、


生き抜く事なんです

いかがでしたでしょうか。

どこまで伝わるかはわかりませんが、

【死んだら終わり】

ではありません。

人は帰る為に生きるんです。

もっと言えば死ぬために生きるんです。

もっともっと言えば生き抜く為に生きるんです。

疲れたら死んじゃお、ではなく、疲れたら休憩すれば良いだけです。

それでまた元気になったら最短コースを歩めば良いんです。




てなわけで本日ここまで!

いつもあなたが笑顔でいられますように。

それではまた。


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