自分へかえるブログ

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自己肯定感と自己否定感の混在

こんにちはトーマスです。

 

久々にゆっくり「はてブ」サーフィンを軽やかにおこなっていた中、いつも読ませていただいてるhasriqさんというブロガーさんの記事を見て

hasriq.hatenablog.com

「ウホッ!良い題材!」

とテンションが上がりました。

その記事にコメントを残そうとしたところ、いつものように大量の情報が流れ込んできまして、(はい、コメント欄で済まそうとするなってことですね)とそそくさ執筆にとりかかった次第です。

 

そんな今回のお題は【自己肯定感と自己否定感の同時存在】です。

興味のある方はトーマスワールドへレッツゴー!!

 

【自己肯定感の定義】

まずは

「そもそも自己肯定感とか自己否定とかふんわりとしかわからないんですけどー」

という方の為にこんな感じという事を知って頂けたらと思います。

なんだか沢山の研究機関でその定義が提唱されているようで、全部挙げていくとキリがないので目についたものだけ簡単に挙げていくと

 

・自己に対して前向きで、好ましく思うような状態

・自分に対する評価を行う際に、自分の良さを肯定的に認める感情

・「自分は大切な人間だ」「自分は生きている価値がある」「自分は必要な人間だ」という気持ち

・現在の自分を自分を自分であると認める感覚

 

などなど。

要は「自分大好き!私はこの世に超必要な人間よ!テヘペロ(古)」

という感情ですね※筆者の誤解釈有

 

【自己否定感とは】

お次は自己否定感。

これはそのままで「自分に対する否定的な感情」ですね。

「自分にはこういうダメなところがある」という部分的な自己否定もあれば、「自分はダメな人間」と自分の全てを責める全体的な自己否定もあります。

 

【自己否定の感情はどこからくるのか】

「前向きに考える事が大事なんだよ!」「自分の好きなところを見ていけばいいんだよ」「あなたは生きてるだけで素晴らしい存在なんだよ」

 

そんなこと言われなくても頭ではわかっとるんじゃーい!

そのマインドが持続しないから悩んどるんやないかーい!

頭でわかってても勝手にネガティブ思考が湧いてくるから苦しんどるっちゅーねん!

※筆者は生まれも育ちも関西圏外

 

と咄嗟に思ってしまう自分は最低だ・・・とまた落ち込むのエンドレスループ

 

実はこの【自己否定感】、自分のもともと持っている性質以外の、外から来ている要因の場合が多いです。

 

・家庭環境

・学校教育

・失敗や挫折によるトラウマ(前世から引きずる場合もある)

 

上記のような影響から、自分自身の価値を低く見積もる事で外部からの心的攻撃を受けた際、自身の心がこれ以上傷つかないように回避する働きが【自己否定感】として湧き出るようになっています。

 

人に傷つけられる前に自分で自分を傷つけることで耐性をつけておこうとするわけです。

 

【自己肯定感と自己否定感の同時存在とは】

 

 先に述べた「頭ではわかっとるわーい。だけど勝手に否定感覚が湧いてくるんじゃーい」の状態。

 

自分では自分の良い所はわかっている。でも同時にそれに相反する自分の嫌な面が浮き出てくる。

 

例えば、人に優しくされ(ありがたい、嬉しい)と思う気持ちと、心の奥底で(そんな風に自分に優しくしないで)(表面ではにこにこしてるけど心の中では何を思っているのかわかったもんじゃない)と相手を遠ざけたいと思ってしまっている自分。

 

または自分に注意をしてくる人間に対して、(自分の為に言ってくれてるんだな)とか(この言葉が自分の成長に繋がるんだな)と思う気持ちと、(あんたは私の為に言ってくれてるつもりだろうけど、言われたこっちはただただ嫌な気持ちになるだけなのをどうしてわからないんだよ)と思ってしまう気持ち。

 

これは云わば誰しもが持っている2面性だと思います(勿論全員が全員だとは言いませんが)。

 

自分の心の状態が良い時にはポジティブな思考の方を選びやすいし、自分が落ちている状態の時はネガティブな思考を選びやすいものです。

 

昼間職場の人達と和気あいあいとしたやり取りをしているにも関わらず、夜になるとそんな自分が外面を良いように装っているだけのドロドロした人間に思えてくる。

 

しかしあるタイミングでは(それもこれも全部自分、こんな自分だって中々良いものじゃないか)と肯定的な思考になる事もある。

 

なーんて思っていたのも束の間、次の瞬間には(あぁ、こうやってまた綺麗事で自分を隠そうとしてる。自分てなんて卑しくて腹黒いんだ、結局本当の自分はこっちなんだ)と自己否定感に苛まれる。

 

これが自己肯定感と自己否定感の同時存在の状態。

 

【どうしても最終的に否定感が拭いされない時はどうしたら良い?】

 

拭いさらなくて良いと思います。

 

だって、めっちゃ腹の中でドロドロした感情を抱いているのもまた自分ですから。

 

テンションが上がってポジティブ思考になっているのも自分だし、その後自己嫌悪に陥ってしまうのも自分です。

 

トーマスの場合は、何も考えてない時に人から「本当はこんな風に思ってるんでしょ?だってそんな顔してたもん」と言われる確率が非常に高く、そんな時に

 

(勝手に人の心を決めつけて勝手に傷つくなやーい。しかも何気に人の顔ディスんなやーい。お前はメンタリストかーい)

 

と心の中でボロカスに言う事があります。

ただ、溜めておくことが中々できない厄介な性格なので声に出して言ってしまうことも多々あります。

言った後、思った後に

 

(もうちょっと言い方があったのに。腹に溜めるのが嫌っていう自己満の為だけに責めるような言い回しをしてしまった)

 

と自己嫌悪に陥ることもあります。

 

そして思う存分気が済むまで自分をボロカスに責めたりした後、自分に対して申し訳ない気持ちになるのです。

 

(いや・・・なんかごめん、言い過ぎた。あんたそこまで嫌なやつじゃないよ。結構良いところあるよ)

 

と自分に向かって謎にフォローの言葉を並べ立てます。

 

上記の時点でだいぶ冷静になっているので、完全に【肉体の自分】を自分とは切り離して見つめるゾーンに突入します。

 

はい、ちょっと意味わかんないですよね。

そもそも『自分』って一体なんなのでしょう。

 

 

【自分は自分の所有物ではない】

 

自分の肉体は与えられたものです。なんなら『期間限定の借り物』です。

貸し主は『地球』です。

 

しかし人というものは《自分は自分のもの》という所有認識を持ちます。

 

優しい人や自己責任感の強い人は、《人に迷惑をかけたくない》という感覚に付随して《自分は自分のもの》という意識の元から自分自身に全ての責任を押し付けがちになってしまう傾向にあります。

 

その結果が自分の肉体を酷使したり、自傷したり、自身を責めたりするという行動によって表されているのです。

 

でも、蓋を開けてみると、その行動の意味するところは《人の物を勝手に雑に扱い傷つける》という行為と同等になります。

 

この《自分は自分のもの》という深く埋め込まれた認識は仕方ないっちゃ仕方ない認識でして、この認識こそが《自我》と呼ばれるものなのです。

 

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大雑把に説明すると、上の図の《大我》「私」つまり大元の全てを創造した「私」の意識となります。

 

その《大我》から派生した「私」《小我》つまり「高次元の存在である私」「人間である私」というように【個】を特定する意識です。

 

《大我》である意識から離れた(繋がってはいる)意識は大我であった自分を思い出さない限り「自分」という固定観念の中で思考する存在となります。

 

円の中での自分を生きている状態です。       

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上の次元との繋がりを絶っている状態が

【私は私、他人は他人】の意識。分離意識です。

 

上からの流れてくる筈の情報を断絶しているので【自分】という意識を強く持ち、それが【自分のものは自分のもの】という認識に固定されます。

 

情報を断絶していても大元との繋がりが切れているわけではないので自身を傷つけるとこうなります。

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ねっ?怖いでしょ?この連鎖反応。

これが自分も他人も傷付けてはいけない、傷つけられてはいけない理由。

 

【自分は自分のもの】という認識からくる【自己犠牲】は巡り巡って他人も傷つける結果となります。

だからこそ自分を目いっぱい可愛がって労わって褒めて認めてあげなければいけない。

 

自分を心地よい状態にする事で自分以外の【個】も労る事が出来るようになると爆発的に《心地よい連鎖》が広がっていきます。

 

【いやだからね、そんなことは頭では分かっても自分に対しての嫌な感情が勝手に出てきちゃうんだって言ってるじゃん!】

 

そうそう、【勝手に】湧いてきちゃうのが《感情》なんですよね。

そもそも地球自体が《感情の星》なんです。

高次元の存在がいる他の星では《感情》を不要なものとして敢えて排除している星もあります。

 

そういった星には《苦しみ》《悲しみ》《幸福感》は存在しませんが、とても円滑に全てが回っています。

 

ただ、全てが良好な状態というのは発展においては最大の障害となり得ます。

だって良好な状態を変えたいと思う事はありませんから。

 

しかし発展のない状態というのはマズイというデータも出ているので、その部分を改善すべく定期的に感情を学習(インプット)、インストールする為に地球に地球人として生まれ、資料が集まったらまた星に還り、そのデータを星全体で共有し、感情が湧き出た星民達は現在の環境をより良くする為に切磋琢磨し、無事発展を遂げると再び《感情》を取り除きます。

 

《感情》というものは良い感情だけに留まらず嫉妬、妬み、憎しみ、悲しみ、苦しみが付きまとう物なのでどうしても《争い》が生まれてしまう為です。

 

つまり?

 

《感情の星》である人間がドロドロした感情を抱く事はごく自然な事で、

 

『良い感情も悪い感情もあって然り』

 

と捉える事が苦しみを緩和し、同時に《無我》に繋がります。

 

殴られたら痛いものだと知って身構えた上で殴られるよりも、殴られる痛みを知らなくて無防備時に殴られた方が驚きも手伝ってとんでもなく痛く感じるのと一緒で、《知っている》という事は苦しみや辛さを軽減させるのです。

 

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 【無我ってなんなの?】

 

上の図の説明で無我は《大我=創造主》よりも更に大きな存在として空中浮遊していますね。

 

無我は《何事にも囚われない》《あるがまま》《抵抗しない》《思考しない》《全ての物そのもの》です。

 

無我=無常

 

決まった事など何も無いので、その事象に逆らう事なく、抗う事なくただ流れに身を任せている状態です。

 

無我は《大我》である《創造主》よりも遥かに大いなる無限の存在ですが《我》に干渉する事は一切ありません。

 

こう書くと一見《無我》が最強のように見えますが、小さな自我の塊である人間ですらいとも簡単に《無我》を垣間見る事が可能です。

 

人間が《無我》を垣間見る瞬間というのはどんな時でしょう。

 

それは、

 

『諦めた時』

 

です。

 

諦めた時、人は瞬時に《無我の境地》と繋がります。

 

無我は何かを創造する以前の状態であり、即ち全てを可能にする力を持っているのです。

 

全てを知り、全てを可能にする唯一の大いなる空間。

 

それが《無我》です。

 

その《無我》に簡単にアクセス可能である事こそが人も創造主も無我も同一だという証なのです。

 

【これどうやってまとめれば良いの】

 

えーとえーと、自己肯定感と自己否定感の同時存在する理由を書いてた筈なんだけど、いつもの如く乗っ取られて《無我の境地》の話にまで発展してしまっていました。

 

今書いたものを読み返して(どうまとめろってんだ!)とは思ったものの、多分ですけどこう伝えたかったんだと思います。

 

『自己肯定感と自己否定感の同時存在』はあって自然なもの。

 

否定感に苛まれている時は確かに苦しいものではある。

 

しかしその湧いてくる感情、苦しみは異常でもなんでもなく、呼吸する時に胸が上下するのと同じくらい自然なものである故、それが《当たり前の事》だと知る事に前進がある。

 

と、こんなところでしょうか。

 

 

 

 まとめれた?

なんかミスってる?

自身の程がミジンコレベルなので本日はこの辺で逃げる事に致します。

 

それではまた!

 

 

 

いつもあなたが笑顔でいられますように。

 

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